アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発 【今週末見るべき映画】

2017年 2月 24日 08:00 Category : Art

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雑誌「暮しの手帖」の元副編集長で、映画ジャーナリストの二井康雄さんが、多くの映画の中から「今週末見るべき映画」をレビューします

 アイヒマン裁判が始まったのは、1961年である。同じころ、アメリカのイェール大学で、社会心理学者のスタンレー・ミルグラムは、「なぜ、どのように大量虐殺が起きたのか」、「人間はなぜ、権威に服従してしまうのか」を実証するために、電気ショックを用いての心理実験を繰り返し行っていた。


 ハンナ・アーレントは、アイヒマン裁判を傍聴し、裁判が終わった1963年、「ニューヨーカー」という週刊誌に、「イエルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さ」の連載をスタートさせる。アイヒマンは、ごくふつうの人間で、思想などは持ちあわせていない。そういった平凡な人間ほど、悪事に手を染める、と書く。くわしくは、映画「ハンナ・アーレント」で描かれている。


 ミルグラムの行った実験もまた、アイヒマンのようなごくふつうの人間でも、権威や権力に盲目的に服従することで、平気で大量虐殺を行えることを実証した。問題となったのは、ミルグラムの心理実験の手法で、周囲から「詐欺的」、「非論理的」と批判される。ミルグラムは、その後ずっと、自らの行った実験がいかに重要かを訴え続けることになる。

 「アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発」(アット エンタテインメント配給)は、この史実に基づいた劇映画である。驚くほど、よく出来ている。ミルグラムの、いわば自伝の体裁で、盲目的に服従することで、だれしもが、アイヒマンの後継者になりうると訴える。


 ミルグラムの著書「服従の心理:実験的視点」が出版され、テレビでドラマ化されたりもするが、実験の方法をめぐっての批判が相次ぐ。以来50年、世界のあちこちでのテロや、残虐な事件が起こるたびに、ミルグラムの行った実験が引き合いに出されるが、実験そのものの位置づけや是非など、結論は出ていない。

 ミルグラムの行った実験は、別名アイヒマン実験と呼ばれている。被験者は、先生役と学習者役のふたり。先生が、形容詞と単語をいくつか述べる。たとえば、「強い腕」などなど。次に、先生は形容詞だけを言う。答えは4択で、「1.背中、2.腕、3.支部、4.突き」と用意されている。学習者は、2のボタンを押せば正解だが、2以外のボタンを押すと不正解である。不正解だと、学習者に電気ショックが与えられる。不正解ごとに、90ボルト、120ボルト、135ボルトというふうに、電気ショックが増えていく。電気ショックはあるが、学習者の人体への損傷はない。しかし、不正解が続き、電気ショックが増大すると、学習者は、悲鳴をあげる。「やめてくれ」と叫んだりする。


 先生役は、戸惑い、うろたえたりするが、実験ということが分かっているせいか、多くの先生役は、かなり高い電気ショックを学習者に与えてしまう。

 ミルグラムの実験から、ほとんどの人は、権威や権力に寄り添うことで、ただ命令や指令に従うことが判明する。実験とはいえ、指令である。先生役には、学習者の追う苦痛への責任はない。言い換えれば、ある特殊な状況では、人は何でも出来る、何人でも人を殺せる、ということである。

 ミルグラムは、ほかにも、いろいろな実験をに取り組む。スモールワールド現象では、大量の手紙を使って、世界じゅうの人が、あいだにどれくらいの人を介してつながっているかを調べる。結果はほぼ6人で、意外なほど、人と人はつながっていることが分かる。

 同調行動を調べる実験がある。サクラを雇い、ニューヨークでただ空を眺める。周囲の人もまた、ひとりふたりと空を眺める。サクラを多くすると、さらに多くの人が同調する。そのほか、心理学的に見て、興味深い実験のかずかずが登場する。


 映画には、ミルグラムの独白や、引用が示される。そのことごとくが、人間の本質を言い当てている。「人間は後ろ向きに理解して、前向きに生きるもの」(キルケゴール)。「文明化をとげた人間が、なぜ殺しあうのか」(ミルグラム)。「悪意ある権力の命令に服従して、市民に残虐な行為を加える人間性は、アメリカ社会と無縁ではない」(ミルグラム)。「悪魔は心の中にいる。自らが信じるものを疑う。自らが非難するものに縛られている」(モンテーニュ)。「代理人状態の人間の言い訳は、自分の仕事をしただけ、私の仕事ではない、規則を決めたのは私じゃない。その結果、他人の要望を遂行する道具になる」(ミルグラム)

 ミルグラムを演じたのは、ピーター・サースガードで、冷静そのもの、ほとんど表情を変えず、余裕しゃくしゃくの演技。自らの信念を押し通すさまは、映画「ニュースの天才」での記憶が重なり、ますますひいきになりそうだ。

 ミルグラムの妻サシャ役は、久しぶりのウィノナ・ライダー。すでに40歳代なかばと思うが、さらに美しい。

 見て思う。操り人形にはなりたくない。自ら、考えて、判断、行動したい。勇気がいるだろう。そして、ミルグラムの実証した人間の本質を、どう捉えるか、課題は重い。

 重いテーマだからこその工夫が、挿入された音楽だろう。リチャード・ロジャースの傑作「南太平洋」で唄われた「魅惑の宵」が、なんども出てくる。さりげなくクラシック音楽が聞こえる。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番、バッハのヴァイオリン協奏曲第1番、無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番、ショパンのワルツ第1番などなど。


 秀逸な脚本、工夫と幅のある映画表現である。重く、骨太なテーマを、センスのあるユーモアを交えて軽妙に描いたのは、マイケル・アルメレイダ。アメリカの、気骨ある映画作家のひとりだろう。

 いまの日本。「憲法に違反するから『戦闘』という言葉は使わない」。「教養がないので答弁できない」。これが、国会での大臣の答弁である。稚拙なへつらい外交、成果のない経済政策など、このような内閣の支持率が60%前後とか。チェック機能さえ働かないマスコミの存在などなど、まったく、信じられないほどの思考停止状態と思う。だれも深く考えない。おかしなことが起こってからでは、もう遅い。繰り返すが、だれしもが、「アイヒマンの後継者」になりうる。まるで、ジョージ・オーウェルが1949年に書いた「1984年」が、いまの日本のよう。

 「アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発」を見て、深く考えなければならないのは、いまの日本人ではないか。

●Story(あらすじ)

 1961年。アメリカのイェール大学で、ある実験が始まる。被験者のひとりは先生、もうひとりは学習者(ジム・ガフィガン)である。先生は、単語にちなんだ問題を出し、別室にいる学習者が答える。不正解だと、学習者に電気ショックが与えられる。さらに不正解が続くと、電気ショックの電圧が上げられる。じつは、実際の被験者は、先生だけで、常に学習者はいわゆるサクラ、実験する側の人間である。あらかじめ、ふたりの人物にくじびきをして役割を決めるが、いつも学習者役になる人物が同じになるよう細工がしてある。

 実験の様子、ことに先生役の様子、反応を、ガラス越しにずっと観察しているのが、この実験を遂行しているスタンレー・ミルグラム博士(ピーター・サースガード)である。この実験は、ナチスによるユダヤ人の大量虐殺がなぜ起こったのか、ふつうの人は、権威に対してどこまで服従するのかを実証するためだと分かる。

 ミルグラムは、あるパーティに向かう途中、エレベーターのなかでサシャ(ウィノナ・ライダー)という元ダンサーの女性と出会う。ほどなく、ふたりは結婚する。

 ミルグラムの実験は続いている。学習者は、不正解のたびに電気ショックを受け、「やめてくれ」、「耐えられない」と叫ぶ(ふりをする)。

 ほんとうの被験者である先生役は、さまざまな反応を起こす。「いやだと言っている」、「もう、やめたい」 と先生役が言っても、実験する側は、「正解するまで、続けてください」と答えるだけ。先生役のほとんどの被験者は、その反応はさまざまだが、最高の電圧である450ボルトまで、電気ショックを与え続けた。

 ある被験者(ジョン・レグイザモ)は、反応のない学習者に気付いて、言う。「死んでいるかもしれない」、「どうなっているか見に行くべきだ」と。実験する側は、聞き入れない。被験者自身も、学習者の部屋まで行こうとはしない。

 ミルグラムは、被験者と面談し、尋ねる。「なぜ電気ショックを与え続けたのか」。被験者は答える。「途中でやめたかったが、続けろと言われたからだ」。また、「自らの意思でしたことではない」という被験者もいる。

 サシャが実験室を訪れる。実験は続いている。女性の被験者も、実験に加わる。結果は、ほぼ同じである。1962年5月、実験が終了。数日後、アイヒマンが絞首刑になる。アイヒマンの言葉である。「上官の命令がなければ、何もしなかった」。

 1963年9月。ミルグラムはハーバード大学の助教授になる。そして、ミルグラムの実験結果が論文として発表される。あちこちから、実験の手法をめぐって、詐欺的だとか、被験者へのケアはどうなっているのかといった批判の声があがる。1年後、ミルグラムは、被験者を集めてのケアに乗り出す。

 ミルグラムの実験は、ほかにも多種多様、さまざまな実験が行われる。1974年。ミルグラムは、ニューヨーク市立大学の心理学部長に出世している。アイヒマン実験を記した著書「服従の心理」が刊行される。ところが、さらにまた、ミルグラムへの批判の声があがる。

 はたして、ミルグラムはどのように対処していくのだろうか。(文・二井康雄)

<作品情報>
「アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発」
(C)2014 Experimenter Productions, LLC. All rights reserved.

2017年2月25日(土)、新宿シネマカリテほか全国ロードショー
公式サイト

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