わたしは、ダニエル・ブレイク 【今週末見るべき映画】

2017年 3月 17日 08:00 Category : Art

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雑誌「暮しの手帖」の元副編集長で、映画ジャーナリストの二井康雄さんが、多くの映画の中から「今週末見るべき映画」をレビューします

 かつて、「ゆりかごから墓場まで」と聞いていた。それほど、医療の福祉サービスが充実していることのようだが、いまはどうか。40数年ほど前、医療を始め、いろいろな福祉政策が充実しているはずのイギリスのロンドンに、3日ほどいたが、ホームレスらしき人たちを、何人か目撃した。


 イギリスの映画監督、ケン・ローチが好きである。市井の庶民、弱者に寄り添い、権力の横暴さを暴く。その反骨精神が好きである。すでに、2014年に撮った「ジミー、野を駆ける伝説」で、映画界を引退、それでも、なお、映画にしたい題材があったのだろう。「わたしは、ダニエル・ブレイク」(ロングライド配給)は、「ゆりかごから墓場まで」といわれる国の福祉や社会的弱者の現状がどうなのかといった、大きな問いを投げかける。

 イギリスのニューカッスル。59歳になるダニエル・ブレイクは、実直そのものの大工で、妻を亡くしたが、ひたすらまじめに生きている。ダニエルは心臓病になり、医者から、働かないよう診断される。ダニエルは、国の保障、援助を願うが、その制度が複雑で、なかなかうまくいかない。医者の診断があるのに、役所からは、「就労可能」と判断される。保障、援助を受けるためには、職探しの実績が必要になる。動けない身なのに、どうすればいいのか。

 そのようなダニエルが、ロンドンから引っ越してきたシングルマザーのケイティと出会う。ケイティには、まだ幼いふたりの子どもがいる。ダニエルは、ちゃんとした仕事もないケイティと子どもたちのめんどうをみるようになる。困った者どうしが仲良くなっても、現実は厳しい。ダニエルとケイティの、役所を相手にした奮闘が始まる。


 どこもそうだが、ダニエルは、規則にしばられた、役所の不親切きわまりない対応に、怒りをあらわにする。カルテに書いてあることさえ、いちいち、質問される。ダニエルは、「カルテを読めよ」と、声をあげる。

 貧困で、食べるものさえ買えない人のために、無料で食料や日用品をくれる「フードバンク」というシステムがある。イギリス政府ご自慢の政策らしい。ダニエルとケイティが、ここを訪れるシーンがある。ケイティは、少ない食料を子どもに与えていたために、ずっと空腹である。もらった缶詰を、その場でむさぼるように食べるシーンがある。

 ケン・ローチ監督と、脚本のポール・ラヴァティは、ホームレスの慈善団体に、ぼうだいな取材を試み、多くの事例を知る。脚本は、この事例から、練りあげたものだ。だからリアル、説得力に富む。


 たとえ貧しくても、社会のシステムにうまく対応できる人なら、それなりに保障をうけたり、援助を受けることができるかもしれない。しかし、社会のシステムに、うまく対応できない人だって存在する。ケン・ローチの視線は、権力に厳しく、一般の庶民や、社会に順応できない人や弱者に、たまらなく、優しい。

 人は、だれしも、尊厳、誇りを持って生きるべきである。たとえ貧しくても、尊厳、誇りは持ち続けるべきである。欧州共同体が成立しても、社会から取り残されようとしている人たちがいる。ダニエルが、精一杯、感情をあらわにして、「わたしは、ダニエル・ブレイク」と表現するとき、人間としての尊厳、誇りが、いかにたいせつか、身に沁みてくる。

 第69回カンヌ国際映画祭は、「わたしは、ダニエル・ブレイク」に、最高賞のパルムドールを授与した。寛容、おもいやり、共感、相互扶助など、世界にいま必要なことのいくつかが、あざやかに示されているからだろう。


 女性に「働け」といっても、子どもを預ける場所もなければ、そもそも、働く場所がない。国民全員に「活躍しなさい」といっても、国民全員が活躍できるわけがない。たわごとだらけの日本である。いまの日本にも、気骨ある映画作家はいるはず。なぜ、「わたしは、ダニエル・ブレイク」のような、いまの日本の現実を切り裂いたドラマができないのだろう。

 主人公のダニエル・ブレイクを演じたのは、舞台畑のコメディアン、デイヴ・ジョーンズである。柔和な表情だが、内に秘めた怒りが徐々にこみ上げてくるようで、相当の芸達者である。映画の撮影であることを忘れてしまうほど、ダニエル役にのめり込んだようだ。ケイティ役はへイリー・スクワイアーズ。オーディションで大役を手にした。丁寧な状況説明のあるケン・ローチ演出に応えて、味わい深い芝居をみせる。


 ケン・ローチは、1936年の6月生まれ。今年、81歳になる。そのまなざしは、イギリスだけに向けられているのではない。世界の現実を注視した上での作劇、映画製作と思う。反骨精神はさらに旺盛。その気概は少しも衰えていない。撮り続けてほしい。

●Story(あらすじ)

 イギリスのニューカッスル。59歳になる大工のダニエル・ブレイク(デイヴ・ジョーンズ)は、妻を亡くしてからは、ひとり暮らしを続けている。ダニエルは、心臓発作を起こして以来、医者から、仕事をしないように診断されている。ダニエルは、雇用支援手当を受けようと、役所を訪ねる。

 カルテには、ダニエルの症状がどのようなものかが書いてあるのに、「腕は上げられるか」などと聞かれる。「カルテを読めよ」とダニエル。悪いのは心臓だけなのに、役所の相次ぐ紋切り型の質問に、ダニエルはいらだつ。

 やがて通知が届く。「就労可能で、手当は中止」とのこと。ダニエルは抗議の電話をするが、さんざん待たされた上、認定人からの連絡を待てと、素っ気ない返事を受ける。

 ダニエルは、職業安定所で求職者手当の申請をするよう指示される。この申請は、オンラインのみで、パソコンの使えないダニエルは、困ってしまう。そのとき、女性の叫ぶ声が聞こえてくる。ケイティ(ヘイリー・スクワイアーズ)という女性の声だ。ケイティは、幼い二人の子どもの母親で、ロンドンから越してきたばかり。給付金を受け取ろうと役所に来たのだが、なれない土地で、道に迷い、遅刻してきたのだった。遅刻しただけで、給付金をもらえない。しかも、給付金が減額される違法審査まであるという。担当者は、規則をたてに、ケイティの言い訳には耳を貸さない。事情を察したダニエルは、ケイティに加勢するが、「あなたも出て行け」と追い出されてしまう始末。

 身の上を打ち明けるケイティに、ダニエルは同情し、なにかとめんどうをみるようになる。ケイティは、ロンドンのアパートを追われたこと、ホームレスの宿泊所で2年暮らしたこと、役所から紹介された古いアパートに親子3人で移ってきたことなどを、ダニエルに話す。

 ダニエルは、ケイティの住むアパートの壊れたトイレ・タンクを修理したり、子どものために木彫りのモビールを作ってあげたりと、なにかと世話をするようになる。なかなか、ケイティの仕事が見つからない。日々の食料も買えない日々が続く。

 ある日、ダニエルとケイティは、食料や日用品を支給してくれるフードバンクの列に並ぶ。ケイティは、空腹のあまり、支給されたばかりの缶詰を、その場で食べてしまう。「みじめだ」と泣くケイティに、ダニエルは言う。「君はなにも悪くない」と。

 ダニエルの審査の結果がでる。またしても、「就労可能」との判定である。求職者手当を受けるには、求職活動を続けることが条件である。ダニエルは、医者から働くことを止められている身である。ダニエルは途方にくれてしまう。

 ケイティもまた、おなじような境遇である。スーパーで買い物をした際、つい、生理用品を万引き、警備員に見つかってしまう。事情を察した支配人は、なんとか穏便に取りはからってくれる。警備員は、電話番号を書いたメモをケイティに手渡す。

 ケイティの娘が、学校でいじめにあう。もはや覚悟を決めたケイティは、警備員のくれたメモの電話番号に連絡をする。もちろん、まっとうな仕事ではない。事情を悟ったダニエルは、反対するが、ケイティは「止めるなら、もう会わない」と言ってしまう。

 ダニエルは、職業安定所に宣言する。「手当の請求はやめる。尊厳を失ったら終わりだ」と。そして、ダニエルは、ある行動にうってでる。

 ダニエルのとった行動とは。そして、その後のケイティの選んだ道とは。(文・二井康雄)

<作品情報>
「わたしは、ダニエル・ブレイク」
(C)Sixteen Tyne Limited, Why Not Productions, Wild Bunch, Les Films du Fleuve,
British Broadcasting Corporation, France 2 Cinéma and The British Film Institute 2016


2017年3月18日(土)、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
公式サイト

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