はじまりへの旅 【今週末見るべき映画】

2017年 3月 31日 08:00 Category : Art

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 アメリカの北西部、ワシントン州カスケードの森林に暮らす一家がいる。父親のベンと、子ども6人は、狩りをし、鶏を飼い、野菜を育てての自給自足の生活をしている。いくつか、一家のルールがある。獲物は自分でさばく。6ヶ国語は必須。食べるときは服を着る。どんなときも家族は一緒など。ベンの妻のレスリーは、数年前から、病気のため、実家近くの病院に入院している。ある日、ベンは、レスリーが亡くなったことを知る。教会での葬儀に、仏教徒のベンと子ども6人の計7人が、ニューメキシコに向かう。


 この4日間の旅を描いた「はじまりへの旅」(松竹配給)は、文明と自給自足のはざまの、さまざまなギャップを描いて、あきさせない。当然、そこはかとないユーモアが生まれる。文明と未開へのいろいろな皮肉、風刺がある。痛烈なる文明批評の趣である。


 厳格で、教育熱心なベンと、さまざまな能力を持った子どもたちである。長男ボウは、豊富な知識があり、アメリカの一流大学のどこにも入学できるほどの学力があり、抜群の運動神経がある。ただし、女の子と話すのが、まったく苦手。キーラーとヴェスパーは、双子の姉妹。キーラーは、エスペラント語が達者。ヴェスパーは、おてんばで、身体能力に長けていて、弓での狩りが得意。次男のレリアンは、森での暮らしに批判的で、父や兄に反抗的な態度をとる。三男のナイは、森から出たことがなく、いつも裸でいる。三女のサージは、好奇心旺盛、獲物の剥製作りが好きである。


 こんな7人が、旅をする。もう、あちこちで、文明摩擦が起こる。それだけでも、映画の醍醐味がたっぷり。当然、亡くなったレスリーの父親ジャックとの間にも、強烈なギャップが生じる。

 映画には、いいタイミングで、いくつかのキーワードが出てくる。多くの著作のある哲学者のノーム・チョムスキー。ウラジミール・ナボコフの小説「ロリータ」。アメリカの生物学者、ジャレド・ダイアモンドの書いた「銃・病原菌・鉄」。アメリカの人権を保障した「権利章典」。グレン・グールドの古いほうの録音(1956年)になるバッハの「ゴールドベルク変奏曲」。育児の聖書といわれている、アメリカの小児科医、ベンジャミン・スポックの「スポック博士の育児書」。これは世界各国で翻訳されているが、日本でも、暮しの手帖社から翻訳、出版され、すでに117万部の大ロングセラーだ。ギリシャの哲学者プラトンの書いた「国家」など。


 音楽がいい。ベンが子どもたちと唄う「Sweet Child O Mine」が楽しく、もちろん、グレン・グールドによるバッハの「ゴールドベルク変奏曲」、ヨーヨー・マによる「無伴奏チェロ組曲第4番」からのプレリュードも挿入されている。


 撮影監督は、ステファーヌ・フォンテーヌである。ジャック・オディアール監督の「真夜中のピアニスト」、「預言者」などを撮った人である。景観、人物を捉えるアングル、光線の変化など、テクニックは変幻自在、注目されたい。

 たぐいまれな教養のあるベンと、優れた能力のある子どもたちである。旅のつれづれ、キーワードが出てくるたびに、大笑いである。

 自給自足の生活か、文明に裏打ちされた生活か。どちらがいいかの二元論の話ではない。強いていうなら、どっちもどっち。要は、生きることにおいて、そう極端になることはない、ということだろうか。自然信奉のナチュラリストが、その信念を貫くあまり、早死にすることもある。なにからなにまで、「自然」が優れているわけではない。現代である。その折り合いが重要と思われる。

 そして、いくつかの紆余曲折を経て、ベンたちは、自分たちの信念を貫こうとする。清々しく、爽快な感慨が味わえる。

 ベン役には、もうこの人しかないと思われるヴィゴ・モーテンセンが扮する。文明全般の知識があり、教育熱心、しかも、アウトドアに長けた野生味たっぷりの父親役を、軽妙に演じる。今年のアカデミー賞では、受賞できなかったがノミネートに名を連ねた。妻の父親役は、フランク・アンジェラ。もはや名優。後半の一家との衝突ぶりを、貫禄で演じる。


 脚本、監督は、俳優でもあるマット・ロス。本作で、第69回カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門で、監督賞を受けている。

 亡くなった母親の願いを叶えるための旅でもある。森での生活には限界もある。いずれ、森から世界への旅立ちがあるはずである。父親としてのベンや、おとなへと成長しつつある子どもたちの、はじめての、見知らぬ世界への旅である。よし、これでいいんだ、と思わせてくれるラストが、とても素晴らしい。

●Story(あらすじ)

 アメリカ北西部の森林。電気、ガスはもちろん、携帯の電波も届かない。狩り、鶏の飼育、野菜栽培と、文字通りの自給自足で住んでいる家族がある。家族は、父親のベン(ヴィゴ・モーテンセン)、長男のボウとよばれているボウドヴァン(ジョージ・マッケイ)、15歳になるキーラー(サマンサ・アイラー)とヴェスパー(アナリス・バッソ)の双子の姉妹、12歳の次男のレリアン(ニコラス・ハミルトン)、9歳の三女サージ(ジュリー・クルックス)、そして、7歳になる三男のナイ(チャーリー・ショットウェル)である。

 ベンは文明を嫌い、哲学者のノーム・チョムスキーを信奉する変わり者である。子どもたちは、学校には通っていない。文学、語学、哲学など、すべて、ベンが教える。さらに、子どもたちはみんな、身体能力に秀でて、ナイフ一本あれば、サバイバルも可能というほどの能力を身につけている。

 1日目。ベン一家は、「スティーブ」と名付けたバスで、山のふもとにある雑貨店に買い物に行く。その日、ベンは、数年前から病気で入院している妻のレスリーが亡くなったという知らせを受ける。子どもたちは、「ママの葬儀に行かなくちゃ」と言うが、ベンはためらう。それというのも、ベンは、レスリーの父親のジャック(フランク・ランジェラ)との仲がうまくいかず、「実家にくれば、警察を呼ぶぞ」と言われているからである。

 子どもたちのがっかりする姿を見て、やっとベンは決心する。レスリーの葬儀は、2400kmも離れたニューメキシコで行われる。ベンは仏教徒である。埋葬される予定の遺体を取り戻し、火葬することがベン一家のミッションとなる。一家は、「スティーブ」に乗り込み、出発する。

 2日目。子どもたちは、いままで、森林以外を見ることなどはほとんどなかったので、まわりの景色に興味をそそられる。ダイナーで売っているホットドッグ、ハンバーガーなど、初めての遭遇である。ベンは、コーラを見て、毒液と決めつける。スーパーではたくさんの食品が廃棄されている。ベンは、「食べ物を救え」とばかり、ちゃっかり、失敬する。

 夜は、ベンの妹ハーバー(キャスリン・ハーン)の家に泊まる。夕食の席、ベンをはじめ、子どもたちは、とんちんかんな言動を繰り出す。おもわずハーバーは言う。「子どもたちは学校に行くべきよ」と。

 3日目。キャンプ場で宿泊となる。ボウは、そこで、美少女クレア(エリン・モリアーティ)と知り合う。なんとか、クレアとキスまで行くが、その後がいけない。ボウは、クレアの母親を前に、なんと結婚を申し出る。

 4日目。やっと、レスリーの葬儀の行われるニューメキシコに到着する。教会に出向くベン一家は、思い思いの勝手な服装である。レスリーの父ジャック(フランク・ランジェラ)は、埋葬の立ち会いを許してくれない。ボウ、レリアンまでもが、ベンに反抗、不満をぶちまける。

 レスリーの葬儀をめぐっての騒ぎがエスカレートしていく。さて、どうなるのだろうか。(文・二井康雄)

<作品情報>
「はじまりへの旅」
(C)2016 CAPTAIN FANTASTIC PRODUCTIONS, LLC ALL RIGHTS RESERVED.


2017年4月1日(土)、ほか全国ロードショー
公式サイト

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