セールスマン 【今週末見るべき映画】

2017年 6月 9日 08:00 Category : Art

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雑誌「暮しの手帖」の元副編集長で、映画ジャーナリストの二井康雄さんが、多くの映画の中から「今週末見るべき映画」をレビューします

 決してとっつきやすい映画ではないが、そのサスペンスは、見る者をひきつけてやまない。


 今年のアカデミー賞の外国語映画賞を受けた「セールスマン」(スターサンズ配給)が、いよいよ公開となる。これは、昨年のカンヌ国際映画祭でも、脚本賞と主演男優賞を受けている。

 思えば、アメリカの新しい大統領が、とんでもないことを言い出した。一部の国に対して、アメリカに来るな、と。もともと、アメリカは移民の国。テロ対策とのことらしいが、なにをくだらないことを言い出したのかと思う。そのせいで、「セールスマン」の脚本を書き、監督したイランのアスガー・ファルハディは、アカデミー賞の席に、あえて出席を拒否する。受賞したアスガー・ファルハディ監督のメッセージを、代理人が読んだ。これが、感動的なメッセージだった。


 「……アメリカへの移住者の入国を禁止する非人道的な法律によって、敬意を払われていない私の国の人々に対する尊重から、私は欠席することにしました。世界を私たちと敵というカテゴリーに分けることは、恐怖やごまかしを生み出します。映画はカメラを通して、国籍や宗教の固定概念を壊すことができます。これまで以上に共感が必要とされている今、映画は共感を生み出すことができるのです」

 敵国を想定、危機感をあおることでしか支持率を獲得出来ない政治家や、映画がお金にしか見えない映画製作者たちに、じっくり味わってほしいメッセージと思う。


 「セールスマン」は、このメッセージを体現したかのような映画だ。テヘランで国語を教えている高校教師エマッドと、その妻ラナは、小さな劇団で演劇活動をしている。いまは、アーサー・ミラーの「セールスマンの死」上演に向けて、稽古の真っ最中である。イランでは中産階級と思われるエマッドとラナの夫婦が、ある事件をきっかけに、その日常が激変することになる。


 引っ越して間もないアパートで、エマッドの留守中に何者かが侵入し、ラナが暴行を受ける。ラナは警察との接触を嫌い、表沙汰にしたくない。怒り狂ったエマッドは、警察に知らせて、犯人を捕まえたいと願う。怒り、哀しみ、忍耐といった感情が交錯する。やがて、予想だにできない大きな真実が、エマットとラナを待ち受けることになる。

 ラストは圧巻である。人間のさまざまな感情が、錯綜し、衝突し、イラン社会の今があぶり出される。

 アーサー・ミラーが「セールスマンの死」を書き、エリア・カザンの演出で初演されたのは1949年である。主な登場人物は、過去の栄光にすがるセールスマン、いつまでも自立できないふたりの息子、ただ耐え続ける妻。やがて、セールスマンは自殺する。


 戦後の復興を遂げつつあるアメリカの競争社会の現実に、親子の断絶、家族の崩壊といったアメリカの闇の部分を重ね合わせた傑作戯曲である。日本でも、あちこちの劇団が上演しているが、1970年、滝沢修が演出、主演した劇団民藝の舞台を見ている。これが、おそらく日本で上演されたなかでの、最高の出来だと思う。

 アスガー・ファルハディは、アメリカの戦後とイランの今を重ねたのだろう。夫婦とて、価値観は異なる。まして、イランである。映画のなかで、この戯曲を上演するにも「当局の検閲にひっかかる箇所がまだ3ヵ所もある」といったセリフが出てくる。イラン社会の男性であるエマッドと、女性であるラナの異なる選択は、当然かも知れない。

 監督は、答えをあえて提出しない。映画を見終わって、それぞれに、さまざまな感慨があると思う。監督のメッセージにあるのは、「共感」だが、「寛容」、「赦し」もまた、いま、いちばん私たちに求められているのではないかと思った。


 細部まで、徹底的にリアリズムを貫く演出もさることながら、主役のエマッドを演じたシャハブ・ホセイニと、ラナを演じたタラネ・アリドゥスティの心理表現もまた、圧倒的なリアリティを獲得している。ともに同じ監督の「彼女が消えた浜辺」で共演している。

 アカデミー賞の発表に先立ち、外国語映画賞にノミネートされた5作品の監督6名が、共同声明を出している。デンマークの「ヒトラーの忘れもの」(マ-チン・サントフリート)、スウェーデンの「幸せなひとりぼっち」(ハンネス・ホルム)、イランの「セールスマン」(アスガー・ファルハディ)、オーストラリアの「タナ(原題)」(マーティン・バトラー、ベントリー・ディーン)、ドイツの「ありがとう、トニ・エルドマン」(マーレン・アデ)の6名である。「米国を始めとする国々や民衆の一部、そして“指導者たる政治家”に見られる狂信的な気運やナショナリズムを断固として容認しない」。

 気骨ある、世界の映画作家たち。決して、映画の世界だけのことではない。

●Story(あらすじ)

 テヘランの集合住宅に、叫び声が響く。「逃げて、早く。外へ!」。高校教師のエマッド(シャハブ・ホセイニ)と、その妻ラナ(タラネ・アリドゥスティ)は、驚いて外に飛び出す。ふたりの住むアパートが、隣接の建設工事のために、いまにも建物が崩れようとしている。

 エマッドとラナは、地元の劇団のメンバーで、アーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」の上演を間近に控えている。そこにアパート崩壊の騒ぎである。いまのアパートを引っ越すしかない。ふたりは、劇団仲間の紹介で、3DKのアパートに引っ越すことになる。

 前の住人だった女性の荷物が、まだ一部屋に残されているが、引っ越しの日に、荷物を取りに来るという。ともあれ、あわただしく、引っ越しが終わる。女性は、荷物を取りに現れない。

 舞台が初日を迎える。その夜、事件が起こる。エマッドが戻る前に、ラナは自宅に帰るが、なんと見知らぬ侵入者に襲われて、暴行を受ける。戻ったエマッドは、階段、バスルームの血を見て驚き、あわてて病院に向かう。治療中のラナは、頭から血を出している。驚くエマッドに、ラナを病院に連れていった隣人は、「あの女の客ではないか」と言う。あの女とは、前に住んでいた女性で、どうやら、複数の男を部屋に引き入れていたらしい。

 頭に包帯を巻いたラナが退院する。ショックのせいか、ラナは一言もしゃべらない。単に怪我だけなのか、性的暴行を受けたのかどうか、エマッドには分からない。エマッドは、ソファの上に、犯人のものらしい携帯電話と鍵の束を見つける。車は、アパートの前に停めていいことになっている。エマッドは、手当たり次第に、車に鍵を入れる。白い軽トラックの鍵だと分かる。また、階段の血から、犯人は足かどこかに怪我をしたらしいことも推測される。

 エマッドは、「警察に行こう」とラナをせかせる。ラナは、警察に一部始終を話すことが苦痛なのか、警察行きを拒否する。夜の舞台で、ラナは取り乱してしまう。

 ラナとエマッドの感情がかみあわなくなっていく。ショックが後をひくラナと、怒りと苛立ちが募るエマッド。エマッドは、自力で犯人を探す決意を固める。

 やがて、深い闇のなかに、エマッドとラナは、おぞましい真実を知ることになる。(文・二井康雄)

<作品情報>
「セールスマン」
(C)MEMENTOFILMS PRODUCTION–ASGHAR FARHADI PRODUCTION–ARTE FRANCE CINEMA 2016

2017年6月10日(土)、Bunkamura ル・シネマほか全国ロードショー
公式サイト

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