ありがとう、トニ・エルドマン【今週末見るべき映画】

2017年 6月 23日 08:00 Category : Art

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雑誌「暮しの手帖」の元副編集長で、映画ジャーナリストの二井康雄さんが、多くの映画の中から「今週末見るべき映画」をレビューします

 父は、外国で働く娘を気遣い、娘は、父を疎ましいと感じながらも、頼り、慕う。古今東西、当たり前のことだが、父と娘との関係には、さまざまな形があるだろう。父と娘の、とりあえずは、ぎくしゃくした関係ながらも、ほのぼのとさせる、ひとつのありようを描いたのが「ありがとう、トニ・エルドマン」(ビターズ・エンド配給)だ。笑わせながらも、鋭く、深い人間観察に満ちている。


 娘のイネスは30代なかばころだろうか。コンサルタント会社に勤める、バリバリのキャリアウーマンだ。ここ一年、親元のドイツを離れて、ひとり、多くの国際企業が進出しているルーマニアのブカレストで働いている。夢は、上海勤務になること。おなじ年頃の娘のいる身には、60代半ばだろうか、父親ヴィンフリートの娘を気遣う想いが、痛いほど分かる。

 たまたま、イネスが帰国する。仕事の電話ばかりで、携帯を手放さない。ヴィンフリートは、そんな娘が幸せに暮らしているかどうか、心配でならない。満足なふれ合いのないまま、イネスは、ブカレストに戻っていく。ヴィンフリートは、心配のあまり、予告もせずに、イネスのいるブカレストに向かう。


 イネスは相変わらず仕事ひとすじ。得意先の役員の妻の買い物にまでつき合っている。たまりかねたヴィンフリートは、「幸せか」、「人間か」と言ってしまう。保身、出世のためなら、いろんなことに気を配り、なんでもやってのける。まるで、日本の官僚、政治家なみの行動だが、イネスは、あるきっかけから、それまでの行動、思考パターンから抜け出そうとする。もちろん、父ヴィンフリートの力が大きく寄与するのだが。


 本来、シリアスなはずのお膳立てが、いくつかの爆笑シーンを添えることで、さらに説得力が増す。イネスがつき合っている同僚とホテルの一室で過ごすシーン。ヴィンフリートがイネスの誕生日に、チーズおろしをプレゼントするシーン。誕生日のパーティで、イネスが同僚を招こうとするが、スーツのファスナーが壊れるシーン。

 心ふるえるシーンもいくつか。白眉は、ヴィンフリートがオルガンで、ホイットニー・ヒューストンの「Greatest love of all」を弾き、イネスが唄うシーンだ。


 ドイツの女性監督、マーレン・アデ自身の実体験をもとに、時間をかけ、緻密に構成された脚本で、細部まで気を配った演出と思う。

 チラシやプレスに使われた、毛むくじゃらの精霊クケリが、ラスト近くで、重要な役割を果たす。日本でいう「なまはげ」のようなもの。スイスの絵本作家、アロイス・カリジェの故郷、グラゥビュンデン州にも「なまはげ」に似た風習があるが、いずれも、家内安全、五穀豊穣を願うものである。

 映画は、仕事で忙しいイネスの周辺に、ヴィンフリートの別人格で、いわば弟格のトニ・エルドマンとして、カツラ、入れ歯で変装したヴィンフリートが、たびたび現れる。もちろん、そこには、大きな摩擦が生じる。このやりとりが、たまらなくおかしく、秀逸だ。


 いろんな企業が国際化し、責任をとりたくない企業は、リストラ遂行案をコンサルタント会社に提言させる。そこでの立身出世は、はたして幸せだろうか。ヴィンフリートの娘イネスへの気遣いは、いまや、世界じゅう、どこの国にでもある現実だろう。

 トニ・エルドマンことヴィンフリートは、周囲の唖然とした反応をまったく気にしない。ヴィンフリートは、自らが作り出した人格のトニ・エルドマンを演じ続けることで、自由になる。イネスは、会社で演じている役柄を放棄することで、自由を獲得する。いい話ではないか。


 ヴィンフリートを演じたペーター・ジモニシェック、イネスを演じたザンドラ・ヒュラーは、初めて見る俳優だが、さまざまな感情の入り交じる微妙な父娘の距離感を、見事に演じきる。

 本作は、今年のアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたが、イラン映画の「セールスマン」が受賞。だがすでに、昨年のカンヌ国際映画祭では、映画監督にとって最高の賞と思う、国際批評家連盟賞を受けている。

 この初夏、強烈にお勧めしたい一本。

●Story(あらすじ)

 ドイツのある町。60代なかば、元ピアノ教師のヴァンフリート(ペーター・ジモニシェック)は、大のいたずら好き。今日も、宅配を届けにきた係員に、存在しない弟、トニ・エルドマンになりすまし、荷物が爆発物らしいことをほのめかす。そこに、ピアノの教え子がやってくる。忙しくて、レッスンをやめたい、と言う。

 このところ、母親や、愛犬のヴィリーの具合がよくない。そこに、1年ほど前から、ルーマニアのブカレストにあるコンサルタント会社で働いている娘のイネス(ザンドラ・ヒュラー)が、一時帰国でやってくる。イネスは多忙らしく、携帯電話ばかり相手にしている。満足に話もできないまま、イネスはブカレストに戻っていく。

 愛犬ヴィリーが息を引き取る。

 ヴィンフリートは、いきなりブカレストに行き、イネスの会社を訪ねる。イネスは、上海への転勤を望んでいて、いつもと同様の忙しさである。相変わらず、ヴィンフリートと満足な会話が出来ない。

 イネスに電話が入る。アメリカ大使館でレセプションが開かれる、と。イネスは、ヴィンフリートを連れていく。「父親だと知られてもいい。ただし、得意先に誘われたら、別行動」との条件を付けて。

 レセプションに、多くの財界人が集まっている。イネスは、得意先を捕まえたものの、かんじんの仕事の話はできず、得意先の妻の買い物につき合う羽目になる。ふとした会話で、イネスは、得意先の機嫌を損ねてしまう。経緯の分からないヴィンフリートは、「何の話だったんだ」と、イネスを気遣う。

 イネスの誕生日が近い。ヴィンフリートは、チーズおろしをプレゼントする。「ヴィリーはどうしている?」と聞くイネスに、「死んだよ」とヴィンフリート。

 会社が多く利用している特権で、スパの職員にシャンパンなどを注文するイネスを見て、おもわずヴィンフリートが言う。「ここにいて幸せか?」と。イネスに、クライアントの妻から電話が入る。父と娘は、ゆっくり、会話ができない。

 ヴィンフリートが帰る日が来る。仕事の電話が入っているのに気づかず、ヴィンフリートは、眠りこけるイネスを起こさない。戻るヴィンフリートを、窓辺から見送るイネス。

 仕事の合間、レストランで友人の女性たちと食事をしているイネス。厳しい現実の日々を語り合っている。そこに、トニ・エルドマンと名乗る男が現れる。よれよれのスーツに長髪のカツラ、入れ歯をしているが、父ヴィンフリートである。驚くイネスを尻目に、女性たちとてきとうに会話を続けるトニ・エルドマン。

 この日を境に、たびたび、トニ・エルドマンは、イネスの行くところ行くところに現れるようになる。ときには、プープークッションを鳴らし、ときには、ドイツ大使を名乗り、イネスの友人たちのあやしげな集まりにもついていく。

 はたして、イネスの仕事はうまくいくのか。トニ・エルドマンこと、娘を気遣うヴィンフリートは、この先、いったい何をしでかすのだろうか。

<作品情報>
「ありがとう、トニ・エルドマン」
(C)Komplizen Film

2017年6月24日(土)、シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー
公式サイト

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