笑う故郷 【今週末見るべき映画】

2017年 9月 15日 08:00 Category : Art

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雑誌「暮しの手帖」の元副編集長で、映画ジャーナリストの二井康雄さんが、多くの映画の中から「今週末見るべき映画」をレビューします

 数年前に、「ル・コルビュジエの家」というアルゼンチン映画をレビューした。窓の設置をめぐって、俗物とその隣人とのやりとりから、人間の深層心理に迫った傑作だった。ブラックなユーモアにあふれ、ラストはむしろ、笑いと表裏一体のホラーだった。


 脚本はアンドレス・ドゥプラットという人で、もともとは建築家である。しっかりした建築そのもののような構成、展開で、途中から、身震いし、ラストに深い余韻を残す。監督は、このアンドレス・ドゥプラットの弟のガストン・ドゥプラットと、マリアノ・コーン。このトリオの新作が、アルゼンチン、スペイン合作の「笑う故郷」(パンドラ配給)だ。

 昨年の東京国際映画祭の「ワールド・フォーカス」部門で、「名誉市民」というタイトルで上映された。映画祭では、コンペティション、特別招待作品など、約30本ほどの作品を見たが、なかでも、一、二を争う傑作だった。


 舞台は、アルゼンチンのブエノスアイレス州の片田舎で、サレスという架空の町。ここの生まれで、ノーベル文学賞を受けた作家ダニエル・マントバーニが、名誉市民の称号を受け、40年ぶりに故郷に戻ってくる。ダニエルは、いまはスペイン、バルセロナの豪邸で暮らしている。もちろん、ダニエルは、市長を始め、いろんな人から歓迎はされるが、そればかりではない。嫉妬され、恨まれることもある。また、ダニエルの意に反して、小さな町のいろいろなイベントに巻き込まれたりする。もとより、捨てた故郷である。ないとはいえない愛着もいささか。なかば人生を捨てた感のある作家が、捨てたはずの故郷で、思わぬ騒動に巻き込まれていく。


 冒頭、ダニエルは、権威あるところからの表彰や、講演の依頼など、ことごとく拒否していることが分かる。そして、ノーベル文学賞の授賞式が映し出される。やや斜めに構えたダニエルが、スピーチする。権威に批判的なダニエルらしく、「受賞は喜びよりも作家としての衰退のしるし」と言い、自分の芸術観を述べる。会場はシーンとするが、やがて、拍手が増え始める。ダニエルの辛辣な表情が、少し緩む。



 ダニエルの住むバルセロナの豪邸。ダニエルは、手紙や電話で届く、さまざまな依頼を断り続けている。秘書が読み上げる。北京語の全集発売記念の講演とサイン会。「ナシ」である。ザグレブの孤児院での朗読会。「却下」である。パキスタンの著名な映画監督が、ダニエルの著書「失われた顔」を映画化したい。「ノー」である。もう3度もきている大阪大学の招待。「検討しよう」である。保留しているBBCの取材。「今は無理」である。そのなかに、故郷サレスから、名誉市民の称号を贈りたいので、ぜひ講演をとの手紙がある。「故郷で講演なんて、冗談じゃない」と、いったんは断る。

 こういったファースト・シーンから、観客の目と耳を、ぐいと引きつけてしまう。うまいものである。


 やがて、作家は、40年ぶりに故郷に戻ることになり、とんでもない騒動に巻き込まれていく。前作の「ル・コルビュジエの家」と同様、ラストは、まるでホラー。さらに、今までのストーリーが、吹き飛んでしまうほどのあざやかな「オチ」が用意されている。

 さまざまな感情が交差する人間の心理を、巧みに描いた脚本、演出である。ダニエルを演じたオスカル・マルティネスは、アルゼンチンで大ヒットした、6篇のショートストーリーからなる映画「人生スイッチ」の、ひとつのエピソードに出ていた。酔っぱらい運転で、人をひいてしまった息子を守ろうとする裕福だが狡猾な父親役を力演した。

 ダニエル役のオスカル・マルティネスの、まるで一人芝居。ダニエルは、故郷の人物や事物に材を得て、土地の持つ閉鎖性を徹底的にからかい、風刺する。そのような作家を、古くからサレスに住む人たちが、心底、歓迎するわけではない。このような設定を、なめらかに演じぬく力量に驚く。ただならぬ役者と思う。昨年のヴェネチア国際映画祭では、主演男優賞を受けている。当然だろう。

 小さな町サレスでは、徐々に、嫉妬に代表される閉鎖的な市民感情が高まりを見せはじめる。かつて、ダニエルが小説で描いたことに、ダニエル自身が、強烈なしっぺ返しをくらうことになる。


 映画のほとんどのシーンに、ブラックな笑いがちりばめてある。権威に対する人間のおもねり、反発や嫉妬が、笑いのネタになる。事実、ことごとく、笑ってしまう。そして、作家ダニエルが、もっとも忌みきらうことを、故郷では、いやいやながらも演じ続けることになっていく。あざやかな皮肉、だろう。

 その意味で邦題の「笑う故郷」には、深い意味があるように思う。ひとしく人間たちを、故郷が笑っているからだ。原題の「名誉市民」は、悪いタイトルではないと思うが、「笑う故郷」も、いいタイトルかなと思えてくる。

 いくつかの短いシーンで、さまざまな人間の内面までをも、きちんと描き分ける。これまた、優れた映画の必要な条件だろう。監督のガストン・ドゥプラット、マリアノ・コーン、脚本のアンドレス・ドゥプラットのトリオ作品の日本での公開は、「ル・コルビュジエの家」についで、まだ二作品にとどまる。ほかの作品があるようなら、ぜひ、公開してほしいものだ。

 ちなみに、中南米では、チリのガブリエラ・ミストラル、パブロ・ネルーダ、コロンビアのガブリエル・ガルシア=マルケス、ペルーのマリオ・バルガス・リョサなど、6人の作家が、ノーベル文学賞を受けているが、アルゼンチンでは、まだ、ノーベル文学賞を受けた作家は、いない。このことを本作が皮肉っているとは思わないが、せめてもの願望かもしれない。

 この秋、強く推したい一本。

●Story(あらすじ)
 アルゼンチンの片田舎サレスの出身で、世界的な作家のダニエル・マントバーニ(オスカル・マルティネス)は、ノーベル文学賞を受け、そのスピーチを始めようとしている。ダニエルは、自嘲気味に、「喜びよりも、作家としての衰退のしるし」と言い、ノーベル賞作家として認めた権威にも楯突くようなスピーチをする。

 会場はシーンとしているが、やがてまばらな拍手から、しだいに大きな拍手となる。ダニエルの辛辣な表情が、緩む。

 5年後のバルセロナ。ダニエルは、ノーベル文学賞を受けたものの、作品はまったく書いていない。それでも、連日、あちこちの権威あるところから、賞の授与や、講演、執筆の依頼が舞い込むが、ダニエルは、ことごとく拒否し続けている。

 秘書の読み上げる手紙に、ダニエルの故郷のアルゼンチンのサレスからのものがある。「名誉市民の称号を受けてほしい、ついては講演も」。ダニエルは、「いまさら故郷で講演などとは」と、一笑に付する。ダニエルは20歳で故郷を捨て、以後40年、故郷に戻っていない。さまざまな依頼を断り続けていたダニエルだが、この手紙に、いささか心が乱れる。ふと、ダニエルは、「故郷に戻ろう、それも一人で」と思う。

 ダニエルは、ブエノスアイレスの空港に降り立つ。車で迎えたのは、かなり無愛想なラモンという大男で、サレスまでは近道で7時間かかるという。でこぼこ道を走る車は、途中でパンクする。スペアのタイヤはなく、携帯電話は圏外で通じない。しかたなく、ふたりは野宿となる。

 ダニエルは、1日遅れてサレスの町に着く。市長のカチョ(マヌエル・ビセンテ)らの出迎えを受け、ホテルに着いたものの、すぐに消防隊のパレードに参加となる。パレードといっても人はまばら。やがて、サレスの美の女王から、「名誉市民」の称号を受けることになる。

 会場には多くの人が集まる。ダニエルの生い立ちからノーベル文学賞を受けるまでの履歴を描いたショートフィルムが上映される。おもわず涙をためたダニエルがスピーチする。「ノーベル賞よりも価値ある名誉だ」と。

 ダニエルは、幼なじみのアントニオ(ダディ・ブリエバ)と再会する。アントニオは、ダニエルのかつての恋人であるイレーネ(アンドレア・フリヘリオ)と結婚したことを告げる。翌朝、ダニエルは、イレーネの案内で、町を見物する。40年前の恋人同士の会話は、どこかぎこちない。ダニエルは、思わずイレーネにキスしてしまう。

 夜、ホテルに戻ったダニエルを待っていたのは、若い女性(ベレン・チャバンネ)である。女性は、ダニエルの講演会で鋭い質問を投げかけて、ダニエルを驚かせている。ダニエルは、下着姿になった女性の誘惑に負けてしまう。後日、この若い女性の正体を知ったダニエルは、ひどく驚くことになる。

 ダニエルは、絵画コンクールの審査員まで押しつけられる。ひどい絵ばかりである。地元の造形美術協会のロメロが、落選したことに恨みを抱き、ダニエルに生卵をぶつけたりする。

 ダニエルの周囲が、徐々に騒がしくなっていく。ダニエルにたかる者もいれば、招待を拒否したことで憎む者もいる。

 サレス滞在の最後の夜。ダニエルは、アントニオから、とんでもないことが予想される誘いを受けざるを得ないことになる。イレーネが制止するなか、ダニエルは、故郷での最後の夜を、どのように過ごすことになるのだろうか。(文・二井康雄)

<作品情報>
「笑う故郷」

2017年9月16日(土)、岩波ホールほか全国ロードショー
公式サイト

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