立ち去った女 【今週末見るべき映画】

2017年 10月 13日 08:00 Category : Art

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 昨年の東京国際映画祭の「ワールド・フォーカス」部門で、フィリピンのラヴ・ディアス監督の「痛ましき謎への子守唄」が上映された。上映時間は、なんと8時間9分。見たい衝動にかられたが、その長さに腰が引けてしまった。この監督の映画は、上映時間の長いことで定評があるらしい。ここ数年の作品は、いずれも5時間から9時間ほど。


 このほど、ラヴ・ディアス監督の、上映時間3時間48分の「立ち去った女」(マジックアワー配給)が一般公開となる。ラヴ・ディアス監督の映画では、上映時間が、記録的に短いらしい。大きな特徴は、戸外、室内を問わず、ひとつひとつのシーンを、カット割りしないことだろうか。しかも、カメラは固定されたまま。現実の時間と映画の時間がシンクロする。このような映画表現をする監督は多く、タル・ベーラ、ツァイ・ミンリャン、アピチャッポン・ウィーラセタクン、ワン・ビンなどなど、枚挙にいとまがない。室内のシーンは、まるで、濃密な演劇を見ているよう。


 余計な音楽、効果音はほとんど、ない。モノクロームである。光と影の対比が、あざやか。そして、叙述がせかせかしない。少ないセリフで、悠長に、ゆったり、ドラマは進行する。しかし、映画の時間が経過するうちに、まるで魔法にかかったかのように、画面に吸い寄せられていく。

 見る人によっては、悠長な語り口に、拒否反応を示すかもしれない。時間の経過を忘れてしまうほど、静謐な語り口に引き込まれてしまう人もいるだろう。当方は、後者である。スリリングでさえ、ある。


 あらすじはいたってシンプル。1997年、フィリピンのある場所。元女教師ホラシアは、殺人事件の冤罪で30年間、刑務所で暮らす。無実が判明して釈放された後、ホラシアは、かつての恋人で、殺人の黒幕だったロドリゴの身辺を探り、復讐のタイミングを見計らっている。ホラシアは、てんかんの女性や、アヒルの卵売り、教会をうろつくホームレス女性、レイプされたゲイの男といった、社会的弱者たちに救いの手をさしのべる。やがて、ホラシアの復讐への執念が熟成されていくことになる。

 フィリピンは、1542年、スペインの国王フェリペ2世が皇太子だったころに、ラス・フィリピナス諸島と名付けられる。その国名通り、かつてはスペインの植民地で、カトリック信者が多いと聞く。富裕層で、殺人を指示したロドリゴが神父に告解し、神の存在を確かめるシーンがある。神父は言う。「神は探すものだ」と。また、ロドリゴの動向を探るべく、ホラシアは、カトリックのヴェールをかぶり、何度も教会に現れる。


 映画の着想のもととなる原作がある。トルストイの短編「神は真実を見給ふ、されど待ち給ふ」だ。原作は未読だが、トルストイの残した言葉で、大好きな一節がある。1904年、日露戦争が始まる。トルストイは、「日露戦争論」でこう書く。「それほど戦いたければ、命を賭けてゆけと命じた皇帝、大臣、将軍、そして、愛国心を煽り扇動する言論人に、教養人と称する者、投資家たちよ、まずあなたたちが行けばよい。自分の家でぬくぬくとしていないで、まずあなたたちが砲弾の嵐の中に立てばよい。未来のある若者を死に追いやる代わりに。」(ぶな葉一著「北御門二郎 魂の自由を求めて」 銀の鈴社)。

 ラヴ・ディアス監督は、「絶対非暴力」、「絶対平和」を唱えたトルストイの精神を、1997年のフィリピンに定着させようとする。原作のタイトル通り、映画での神は、ちゃんと真実を見据え、待っていてくれるのだ。

 ホラシアに扮したチャロ・サントス・コンシオという女優の、まるでひとり舞台。その存在感が映画全体を支配する。さまざまな思いを秘めたまま、復讐という目標に、一歩一歩、接近していく。家族と人生を壊されたといってもいい、初老女性の執念を、まざまざと見せつけて、風格たっぷり。


 ホラシアは、刑務所を立ち去り、30年ぶりに戻った家を立ち去り、行方不明の息子を探すべく、島を立ち去る。行く手に、神の救いがあると信じて。タイトルの「立ち去った女」が、ホラシアの過去と未来を暗示する。ラストでは、徹頭徹尾、リアリズムに徹していた映画が、未来に飛翔する。なんという、あざやかな幕切れ。

 それにしても、かつて、娯楽映画一辺倒だったフィリピンには、マルコス独裁政権下への抵抗に満ちた映画作品に続いて、今、「ローサは密告された」を撮ったブリランテ・メンドーサや、このラヴ・デイアスといった、おそるべき才能が現れつつある。ラヴ・ディアス作品は、おそらく興行側からみれば、公開しづらいと思うが、ほかの作品の一般公開もぜひにと思う。

●Story(あらすじ)
 1997年6月30日。ラジオが、香港の中国返還を伝えている。あわせて、このところのフィリピン経済の停滞と、誘拐事件が急激に増えていることを伝えている。

 刑務所の敷地で、元小学校の女教師ホラシア(チャロ・サントス・コンシオ)が、受刑者たちに、読み書きを教えている。ホラシアは、殺人容疑の服役で、すでに30年、経っている。

 ある日、ホラシアと同じ受刑者で、仲良しのペトラ(シャマイン・センテネラ・ブエンカミノ)から、思いもかけない事実を聞かされる。ホラシアが犯したとされる殺人の真犯人が、なんとペトラ。そして、ペトラに殺人を依頼し、ホラシアの罪とみせかけた黒幕が、かつてのホラシアの恋人だったロドリゴ(マイケル・デ・メサ)だった、と。供述書を書いた後、ペトラは、自殺する。

 釈放されたホラシアは、30年ぶりに自宅に戻る。夫は亡くなり、息子は行方不明。ホラシアは、管理人の女性に、家の権利書を渡す。そして、やっと消息の分かった娘ミネルバ(マージ・ロリコ)と会う。すでにミネルバは結婚して、子どもまでいる。ホラシアは出所したことを内密にと、ミネルバに頼む。

 ホラシアは、ロドリゴに復讐を果たすため、ロドリゴの住む島に向かう。ホラシアは、帽子をかぶり、男の出で立ちで、ロドリゴの住む邸宅を探るが、警備が厳重で、なかなか近づけない。ホラシアは、レアータと名乗って、ロドリゴ宅の周辺で、バロットというアヒルの卵を売り歩いている男(ノニー・ブエンカミノ)に接近する。ホラシアは、バロット売りから、ロドリゴに関する情報を仕入れることになる。

 ホラシアは、かんてんの発作で倒れている女を見つけ、金をやり、上着まで与えたりする。

 ロドリゴが教会に通っていることを知ったホラシアは、レースをかぶり、教会に出入りするようになる。ある日、ホラシアは教会でうたた寝をしてしまう。「ここで寝てはだめ」とホームレスの女マメン(ジーン・ジュディス・ハビエル)に注意される。ホラシアは、こんどはレティシアと名乗って、マメンに近づき、ロドリゴに関する情報を、さらに仕入れる。

 ある日、バロット売りのところに、ロドリゴが卵を買いにくる。この情報を、バロット売りは、ホラシアに伝える。

 ホラシアの息子らしい遺体が発見される。オラシアは、ミネルバとともに遺体安置所を訪ねるが、遺体は、息子ではない。

 ある夜、ホラシアのところに、全身に傷を負った女性がやってくる。ホランダ(ジョン・ロイド・クルズ)と名乗ったのは、女性ではなく、女装した男性で、暴行、レイプされたという。ホラシアは、ホランダを介抱し、医者に診せる。医者は、脳のレントゲン検査が必要と言う。

 教会では、ロドリゴが、神父に告解しようとしている。

 ホラシアに身の上を語るホランダ。ホラシアもまた、自らの境遇をホランダに語り始めるのだが。(文・二井康雄)

<作品情報>
「立ち去った女」

2017年10月14日(土)、シアター・イメージフォーラムほか全国ロードショー
公式サイト

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