苦い銭 【今週末見るべき映画】

2018年 2月 2日 08:00 Category : Art

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 一昨年の東京フィルメックスで、特別招待作品として上映されたワン・ビン(王兵)監督のドキュメンタリー映画「苦い銭」(ムヴィオラ配給)が、このほど、やっと公開される。


 以前、ワン・ビンが来日したときに、3回ほど、囲みでインタビューする機会があった。その都度、一連のワン・ビン作品が、政府から批判の的になるのではと尋ねた。「映画には、政治的なメッセージを込めていない」、「政治的な圧力はまったく、ない」と言う。

 さらに、次回作を期待して、「いまいちばん興味のあることは」と聞いた。「長江沿いの未知の場所の、歴史と現実」と答えてくれた。そのひとつの結晶が、「苦い銭」である。


 雲南省や貴州省などの農村から、出稼ぎの人たちが大勢、浙江省の湖州市にやってくる。いまでは、湖州の住民の8割が、出稼ぎの人たちだ。湖州には、古くから、小さな縫製工場がたくさんあって、安い賃金で、多くの出稼ぎ労働者が働いている。

 映画は、まず、雲南省の昭通に住むシャオミン(小敏)という16歳の少女を写しだす。まだあどけないが、ときおり、おとなびた表情をみせる。シャオミンより先に出稼ぎに行っていたユェンチェン(元珍)が戻っていて、これから出稼ぎに出るシャオミンを迎えにきている。ユェンチャンは24歳で、シャオミンになにかとアドバイスをする。


 ふたりは、まずバスに乗り、列車を乗り継いで湖州に向かう。昭通から浙江省の省都・杭州までは2200キロ、列車で20時間もかかる。列車には、ユェンチェンの従弟で、18歳になるシャオスン(小孫)も乗っている。シャオスンも出稼ぎに行くが、仕事になじめず、わずか1週間で故郷に戻っていく。

 シャオミンは、湖州の小さな縫製工場で働くことになる。賃金は安い。おなじ工場で、安徽省出身のリンリン(凌凌)が働いている。リンリンは25歳で、夫は、32歳になるアルヅ(二子)だ。子どもを故郷に残したままの出稼ぎ夫婦だ。アルヅは、以前、働いていた工場で、右手を切断し、右手を手袋で隠している。アルヅは、麻雀やインターネットの出来る店を経営しているが、うまくいっていない。経済的に余裕のないふたりは、絶えず、激しい喧嘩をしている。


 アルヅとリンリンの夫婦喧嘩の仲裁役が、同じ安徽省出身で、45歳になるのに、アルヅの店で麻雀ばかりしているラオイエ(老葉)だ。ラオイエは、シャオミンと同じ縫製工場で働いているが、マルチ商法に興味があって、あまり働かなくても金儲けができるよう考えている。

 ラオイエと同じ部屋に住むホアン・レイ(黄磊)は、河南省の出身で、ラオイエと同じ45歳。賭事が好きで、酒を呑み、いつも酔っぱらっている。まじめに働くよう、同郷の社長から、説教されている。

 同じ縫製工場では、安徽省出身の19歳の女性、ランラン(蘭蘭)とホウチン(厚琴)も働いている。ふたりは寮の同じ部屋に住んでいて、自由な時間は、ほとんどない。たまたま、同じような境遇の男性に誘われることがあっても、出かけようとはしない。

 仕事の出来が悪いファン・ビン(方兵)は、安徽省からの出稼ぎで、45歳になる。解雇を言い渡されて、別の職場を探そうとするが、そこでもダメなら、故郷に戻ろうと考え始めている。

 ワン・ビンのカメラは、こういった、いわば社会の底辺で働く人たちの日常を、ことさらの説明のないまま、ていねいにすくいとっていく。とにかく、全編に、お金の話が出てくる。映画が撮られたのは、ほんの3、4年前である。1元が17円ほどだ。縫製工場でのアイロン掛けの時給が16元ほど。272円だ。スカートの値段が40元。680円だ。「1日に150元(2550円)稼ぐ奴もいるが、俺は70元(1190円)しか稼げない」。「ひとり騙せば1500元(25500円)の儲けだ」。「社長のいう加工賃は9元(153円)だ。相場は10元(170円)以上だ」……。


 昨年の12月、二年ぶりに北京に出かけた。10,000円を銀行で両替したら580元ほどだった。1元は、17円と少し。スマホがないと、タクシーが呼べないようになっていた。まったくつかまらないわけではないらしいが、流しのタクシーが、そもそも、走っていない。コンビニやスーパーのレジでの支払いの多くは、スマホだ。地下鉄の駅周辺にいた、露天の物売りがいなくなった。あちこちにいたホームレスを、ほとんど見かけなくなった。

 では、北京の人たちは、豊かになったのか。地方からの物売りは、どこへ行ったのか。

 中国はかつて、改革開放とやらで、豊かになれる者から豊かになれとの政策がとられた。そしていまは、貧困を減らし、2020年には、「小康社会」の実現を目指している。「いくらかゆとりのある社会」だそうだ。

 北京では、そこそこのレベルのレストランが、けっこう賑わっていた。豊かになりつつあるのは事実かもしれない。「苦い銭」に出てくる人たちの故郷は、山間の、農村が多いと思われる。ほんの数年前の、出稼ぎに行かなければならない人たちの現実が綴られる。おそらく、「小康社会」からは、取り残され続ける人たちではないかと思われる。

 「苦い銭」は、ドキュメンタリー映画である。にもかかわらず、2016年のヴェネチア国際映画祭のオリゾンティ部門で、脚本賞を受けた。社会の底辺で働く人たちの日常を、あざやかに切り取った結果だろう。

 ワン・ビンの「収容病棟」で、助監督を務め、「苦い銭」でも、一部の撮影を担当した前田佳孝がインタビューのなかで、ワン・ビンから言われたことを紹介している。「1日5時間、最低でも3時間は撮れ」、「何も起こらないと思ってもどこで変化するかもしれないから、粘り強く撮れ」、「ワンカット最低10分は止めるな、30分だって撮れる」、「何も起こらなくても心配するな。そこでは必ず何かが起こっている」、「撮りながらフレームに入っていない回りも観察して、次を予測しながら撮れ」。

 ワン・ビン作品の秘密が解き明かされているようだ。ワン・ビン作品の魅力をひとことで言うと、「個を描くことで全体を描く」。カメラと被写体との距離は、すでに、なくなっている。

 昨年の東京フィルメックスでは、特別招待作品として、「ファンさん」が上映された。アルツハイマーで寝たきりになる老女ファンさんと、ファンさんを取り巻く人たちの一挙一動を捉えた傑作である。まだ、日本での公開が決まっていないようだが、ぜひまた見てみたい。(文・二井康雄)

<作品情報>
「苦い銭」
(C)2016 Gladys Glover-House on Fire-Chinese Shadows-WIL Productions

2018年2月3日(土)、シアター・イメージフォーラムほか全国ロードショー
公式サイト

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