旧ソ連、グルジアの監督テンギズ・アブラゼの「懺悔」(ザジフィルムズ配給)は、「祈り」「希望の樹」に続く「懺悔三部作」の最後を飾る映画である。

(C)Georgia-Film, 1984
1969年の「祈り」は、グルジアの詩人ヴァジャ・ブシャヴェラの詩に基づいたドラマで、社会の不正を告発した。また1977年の「希望の樹」では、革命前のロシア、コーカサスの村の古い慣習に縛られた若い男女の悲劇を描いた。
「懺悔」は、1984年の作品。ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を唱えたゴルバジョフ大統領は1991年に辞任、事実上、ソ連が崩壊した。「懺悔」は、ペレストロイカやグラスノスチを推進、結果としてソ連崩壊を招いた映画とも言われている。
町の独裁者である町長が死ぬ。墓に入れられるが、遺体がたびたび掘り起こされ、家族のもとへ届く。犯人は女性。両親は、死んだ独裁者にかつて粛清、殺害されていた。犯人は裁判にかけられ、無罪を主張、過去を振り返っていく。
ことはグルジアだけの話ではない。
かつてロシアでは、スターリンによる粛清の嵐が吹き荒れた。テンギズ・アブラゼは、架空の町に姿を借りて、独裁者によって粛清された家族の悲劇を、リアリズムからやや距離をおいた表現で、幻想的、象徴的に描いていく。
犯人の女性が幼いころを回想する。母親の見る夢は、夫とともに顔だけ出して、土のなかに埋められている。サミュエル・ベケットの芝居「しあわせな日々」やゴヤの絵「砂に埋もれる犬」を思い起こすような描き方である。

父親は、無政府主義者として告発され、鎧に身を固めた男たちに連行される。やがて粛清の手は、友人知人にも伸びていく。
テンギズ・アブラゼ監督は、ことさら歴史の汚点を告発していない。静かに、淡々と、権力による、平凡な家族への悲惨な仕打ちを描いていく。
どこかで今なお、テロとその報復が続いている。国と国、民族と民族、人と人との戦いがある限り、常に名もない庶民が犠牲になる。独裁者の横暴を許した社会や人たちに罪があるのか、そして、懺悔すべきは誰なのか、観客は、じわりと問いつめられることになる。
象徴的な、見事なラストシーンがある。権力者の築き上げたものには、救いがない。真理である。