今、我々はスティーブ・ジョブズがつくった世界を生きている。電車に乗れば周りはiPhoneとその類似品だらけ。その周りの人々が耳にするのはあの白いヘッドホン。おしゃれなカフェを見つけると、開かれているノートパソコンは圧倒的にアルミの削り出しボディーが多い。だが、それだけではない。

iPad(2010年)
このシンプルで無駄のないデザインだからこそ、多くのクリエイターが創造性を掻き立てられ、これらアップル製品の上で我々の未来をつくっている。我々が着る衣服や、iPadで見る映画や映像コンテンツ、iPodで楽しむ音楽、本や雑誌のデザインから、その上で読む文章まで、多くのものがアップルの製品でつくられている。
「Think different.」のCMを覚えているだろうか? 最近、実はこれはジョブズが自ら朗読した詩だったことが明らかになった(ジョブズは、これを自分についてのCMだと思われないために、あえてテレビCMでは俳優のリチャード・ドレイファスに朗読を頼んだ)。この詩にはロングバージョンがあるのだが、その最後はこう締めくくられている。
もしかしたら彼らは本当にクレイジーなのかも知れない。そうでなければ、どうして何もないキャンバスの上に芸術作品が見えるのか? 静寂の中に佇んで、今までにない音楽が聞こえるか? あるいは、赤い惑星をじっと眺めて車輪に乗った実験室を夢見ることが出来るのか?
だが、私たちは、そんな人たちのための道具を作る。 彼らをクレイジーだと見る人もいるが、我々は天才だと見ている。何故なら世の中を変えられると信じるほどにクレイジーな人達こそが、実際にそれを成し遂げている人々だからだ。
およそ一人の人間の業とは思えない数の偉業を重ねたスティーブ・ジョブズ。1人の人間の情熱が、ここまで大きく世界を変えられることを示した彼の一生はまさにクレイジーそのものだったが、自分の才能を信じ、挑戦を続ける世界中のクレイジーな創造者たちに大きな勇気を与えてくれた。
彼がいなければ、世の中は、まだiMac登場前夜のベージュ色の安かろう悪かろうのパソコンをつまらなそうに使っていたかもしれない。

彼がいなければ、我々は、まだ企業の都合と技術のお仕着せでつくられた携帯電話をスペックシートだけ見て選んでいたかもしれない。でも、ジョブズがアップルに戻って巻き起こした奇跡の15年のおかげで、我々は「とてつもなく素晴らしい」というものが、どういうことかを知ってしまった。
彼がこの15年に成し遂げてきたことに感謝をするということは、これからも審美眼を磨き、素晴らしい作品を素晴らしいと賞賛し、自らも物事に正直に正面から取り組む、と言うことなのかもしれない。
そして、我々は、技術一辺倒ではない、人々に笑顔をもたらす製品こそを求めているのだという態度を、今後も守っていくことなのかもしれない。
文/林信行

